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管理された静かな森 ⑤

last update Last Updated: 2025-06-01 22:28:15
 夜明けの光がアークセリアの管理された森を淡く照らし、整然と並ぶ木々の葉が朝風にそよぐ。

 険しい獣道はすでに遠ざかり、人工的に管理された森の静寂が広がっている。

 リノア、エレナ、セラの三人は整備された道を進んだ。

 遠くで聞こえていた鳥の囀りはいつの間にか途絶え、草むらを揺らす小さな生き物の気配も消えている。時折、獣道で見かけた獣たちの足跡すら見当たらなくなった。

 木々の間を抜ける風は穏やかだが、そこに生命の気配は欠片もない。

 木々は相変わらず等間隔に立ち並び、その枝は旅人を迎えるようにしなやかな弧を描いている。

「ここまで見通しが良いと、野生の動物は住めないだろうね」

 クローヴ村の混沌とした空気が懐かしく思える。

 クローヴ村の森では、風が葉を揺らす度に小さな生き物が跳ね、枝葉の奥から好奇心を帯びた瞳が覗いていたものだ。けれど、ここでは目を凝らしても動く影はない。

「絵画みたいに綺麗でしょ」

 セラが柔らかな微笑みを浮かべた。

 朝の光に照らされた森は、どこを切り取っても計算された構図のように整っており、非の打ち所がない。

 ここではすべてが計算され、秩序の中に美が宿っている。

 きっとアークセリアは森を一つの芸術作品として捉えているのだろう。

 セラが軽やかな足取りで進んで行く。

「木々の配置も、風の流れも、すべて計算されてるの。アリシアが舞台で踊った時なんて、まるで森全体がアリシアの動きに合わせて息づいているようだったんだよ」

 セラは静かに目を閉じ、記憶を辿るように言葉を紡いだ。

「舞台って、森の中で踊るの?」

 エレナが問いかけた。

「ううん。森の中ではないけど、背景の壁を取り払った劇場かな」

 セラが微笑んで答えた。

「アークセリアの舞踏会。早く観たいな」

 エレナが目を輝かせながら言った。

 エレナはアリシアがクローヴ村で舞う度、食い入るようにその動きを追っていた。舞踏の優雅さ、表現の力──それらに魅了されていたのだと思う。

 リノアはアークセリアの方向へと視線を向けた。

 道はさらに開け、なだらかな石畳の坂道の先に、白い石壁が朝陽を受けて柔らかな輝きを放っている。

 生き物のざわめきが消えた森の終点──人工の美が極まる街が目の前に迫っている。

「どんな街なんだろう」

 リノアが呟いた。

 三人は互いに視線を交わすと、城門に向かって歩き出した
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